人生が変わった

 

 

3月に洗礼を受けた。

4月、買ったばかりの新車で仕事中だった。

書類を受け取って車を出す前、シートベルトをもう一度きちんと直した。

そして交差点に

さしかかった時、信号無視のスピードを出したままの車に激突された。

 

車は横転し、

窓ガラスは割れ、エアーバックに挟まれた私はまだ意識があった。

聖書と讃美歌のCDを洗礼のあと姉からもらっていたので、CDをかけていた。

 

あなたでもわかる讃美歌から入ろうか、とくれた曲

アメイジンググレイスが割れた窓から結構な音量で事故現場に

響き渡るなか、私はたくさんの人の手を借りて救出された。

 

職業柄、宗教を表に出すことはご法度だが

奇しくもカミングアウトとなった。

 

どーん、という音で

患者さん宅を訪問中だった知人が、事故だという声で

職業柄、救命処置が必要だろうと外に飛び出て

横転している車の運転席の主の顔が私であることに気づき、

死んだ、と思って、こちらが倒れそうになった、と後日教えてくれた。

 

前日までの代車なら、

その数日前までの自分の古い車なら、

窓ガラスの破片で傷を負っただろうが、

ダイヤモンド状に割れる仕組みの新車は

口の中にもその破片がたくさん入ってしまったが

どこも無傷。

 

エアーバックも前の車にはなかったので

奇跡だった。

 

英語のアメージンググレースが響きわたる中、

頑張れ、死ぬな、とたくさんの人がワンチームになって

助けてくれたというが、

もうその時は意識がなかった。

 

意識不明の重体

病院に呼び出された子供も親も、

こういうことで結局死ぬんだ、と絶望に陥ったと聞いた。

 

検査をすべて終わるころ意識が戻り

結局無傷で翌日職場に復帰。

 

車は無残にもぼろくず状態。

 

だが結果、新車を二台購入したありがたいお客様になり、

死んだと思って生きているんだから、

しばらくいなくてもやれるでしょう、と

姉の提案により、休暇をもらい姉の招待で外国へ行った。

 

子供たちも本気で休んできて、と親と共に送り出してくれたが、

ちょうど台風シーズン。

台風が4個も次々と上陸するという無理な状況の中

私の予約便、一便だけが急遽飛ぶことになり、

信じられないが、実現した。

そして海外で初めてクリスチャンの方々とシェアするという体験をした。

 

脳の意識の大変換というのか・・・

 

不思議なことに

本当に、それから起こったことも

今日までも、

 

 

振り返っても、今思い出してみても

やはり、ビフォーアフターで、

洗礼前と後の人生はまるで違う世界になっていった。

 

自分であって自分ではない

生きていてこの世にリアルで住んでいるような感覚が時になく

目を閉じ祈ると

「聖書の世界」

に自分がシフトしている感覚を、二重生活をしているような

不思議な世界を味わい続けて、あっというまに20年がたった。

 

 

 

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証し、続き

 

 

夢なのか、幻なのか

寝落ちしている主治医の後ろに見えた光景

 

石を手にして誰かに向かって投げている人たちが見えた。

ああ、私に石を投げているのかと見た。

 

あなたなんていなくなればいい

あなたが来て、私のポジションは消えた。

仕事を奪うな、消えろ。

 

数週間前、酒席に呼び出されて吐かれた暴言の数々

その時は、テーブルをバン、と叩いて、

それこそ、「うっせー、うっせー、うっせいわ」

と、酒飲んでたむろしている暇に勉強せい! と酔っ払いどもに反撃した。

 

だが、それ以来、心がポキンと折れたようで

走りに走っていたエネルギーが尽きたように

不整脈にも悩まされるようになっていた。

 

重ねて、神職を逃げているのではない、よという引っ掛かりが

重荷となっていたのか、バーンナウトしてしまった。

 

石を投げて、どうぞ投げて

私は自分の都合で子供たちの生活も中断させて

あなたのポジションも奪って

あの人にも、この人にも心にさざ波を起こさせてしまった。

 

バランスを崩しちゃったよね、

みんながうまく回していたところにいきなり入ってきて

邪魔よね・・・

子供たちも環境変わって辛いよね

 

みんな私が悪い

石投げて、当然

投げて・・・

私も疲れたし、もういいし・・・

 

牙むいてごめんね。

他人に牙むくって、

あなたたちの親にも家族にも牙剝いたってことだよね。

悪いよね・・・

 

 

みんなごめんね。

私が存在したばっかりに、みんなに迷惑かけてごめんね

石投げて殺してしまって、いいよ。私なんて。

 

違うか・・・

殺人やれって・・・本当に・・・自分で死ねよ・・・だよね。

 

 

消えたいけど、子供たち・・・

どうやって生きていくのよ

 

 

死んでも生きても迷惑かけているんだね、私

 

どうしたらいいですか。

 

 

誰か助けてください

 

どうしていいかわかりません。

誰か、私を助けてください

人ではない・・・人はもういい、

神様・・・

私を助けてください 

 

目を開けて

心電図モニターから聞こえる自分の心拍数を確認した

 

先生の後ろにぼんやりと十字架が見えた

石はそこに向けて投げられている。

 

ああ・・・

 

鳥肌がたった。

 

 

やめて・・・

やめて

 

あの方に投げてはいけない

みんな怖くないの

私に投げるの

あの方は何も悪くないの

 

だが誰も投げるのをやめようとしない

なんでお前はここにいるんだよ、

いなくなれよ、

酒席の暴言と共に

石を投げている

 

やめて・・・

私に投げて

あなたたち怖くないの、

あの方は神様なんだよ、怖がらないとだめなんだよ

 

尽き果てたと思っていたのに

泣きじゃくって、やめるように手を伸ばした

 

「あなたにはできない。わたしがした。あなたにはできない」

 

静寂なのに声

声なのに静寂

 

「わたしがした。あなたにはできない」

 

はっきりと十字架上の神様を見た

足を組んで石を受けている神様の真似をして

足を組んで手を広げて、自分も十字架刑を受けようと真似て・・・

号泣した。

 

「先生、点滴外してもらえますか、家に帰らせて下さい」

 

何を言い出すのだ、というやり取りのあと

後で説明します、電話をしなければ、今電話をしなければ、と

 

外国に居住している姉がクリスチャンだということを思い出していた

国際電話をかけた。

 

congratulation、すぐに行くからと

姉は本当にすぐ帰国し、私は洗礼を受けた

 

聖書を読んだこともなかったが、

水に沈むとき

あまりにも死ぬことが心地よくて

生まれ変わることが気持ちよくて

20年経ったが、今でもあの日を鮮明に覚えている。

 

あなたはイエス様をあなたの救い主として信じますか。

はい。

 

神様と信じますか。

はい。 

 

生まれたままのもがき苦しむ魂の殻が割れたあと、

洗礼をうけ、

神様の言葉がダイレクトに再生のいのちとなって

主と共に歩む人生が始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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証し

 

 

 

 

20年前、父の命日に洗礼を受けた。

 

結婚に失敗し、4人の子供を抱えて路頭に迷う私に、

最後の砦、目を閉じて眠れる場所

子供たちを少し預けて仮眠をとれる場所は、両親のいる家、実家。

 

だが下の子、二人が感染症にかかり入院していて

自宅を留守にしていた時間

父は危篤になり、その夜、亡くなった。

 

実家に出戻ることになった。

母を一人にできない、という表向きはそう言って戻ったが

家があって、生活の流れが確立している場所で子育てをする。

母と相談をして本格的な同居が始まった。

 

貯金をそこそこ持っていたので

一年間は勤めることをしないで、子供たちの環境を整えることにした。

子供たちは祖父母の家にすぐに慣れていった。

 

ゆるく流れる時間

彼らは町で暮らしてきたので

歩いてなんでも済んでしまう学生生活にゆとりを味わい

私たちは母を含めた生活を思う存分満喫していたように思う。

 

だが

祭司職を退官した親の後任として

名指しされるようになっていき

ある時、私は徐脈に襲われ救急室へ運ばれた。

 

圧が迫るたび

体がどうしようもなくバランスを崩し

搬送三度目の救急室のベッドで、死を覚悟した。

 

子供たちの絶望した目

やはりそううまくいくはずがない。

楽しすぎた時間が互いに切なかった。

 

逃げているわけではない。

神事はなににおいても優先する・・・わかっている。

やれないキャパシティーか? そんなことはない。私はやれる。

ではなぜ具合が悪くなって、こうしてお前は逃げているのだ?

 

幼い子供たちの小さな手が頬を触ってくるが応えてやる力もなく

息子が背中を撫でて寂しそうに目を伏せている。

長女が、私頑張るから、と励ましてくれるが可哀そうでたまらない。

 

息が苦しくて

主治医の先生が

「負けないで、あなたが負けたら僕らも負ける」

何故かわからないけれど、そんな気がしてならない、と

空いた時間のたびに子供らを励まし、私を励ましてくれた。

個室を幼い子供たちもいつでも自由に親子が会えるように、と

とってくれていた。

 

子供たちを母が連れ帰った病室で

主治医が疲れ切った様子で傍にある椅子に座ると

僕もインフルで二日ダウンしていた、ごめんね、と

椅子から落ちそうになるほど寝落ちしてしまった。

 

子だくさんのドクター

病院で一番人気

順番待ちの長蛇の列ができてしまう先生の外来

そんな名医に、毎日、時間をたくさん頂いて、申し訳ない・・・

誰か助けてください

 

誰か助けてください。

子供たちを置いて死ぬわけにはいかない

でももう疲れた

休みたい。

眠りたい。

 

人ではなくて・・・

どんなに優しくて優れた先生でも先生は人間

時間に限りがある。

体力にも限りがある。

 

誰か助けてください。

神様、助けてください。

 

神様・・・

と、私、言った?

 

意識をなくした。

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

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夕があり、朝があった

 

 

 

15.6年前、数人で聖書の世界をシェアしていた頃、

タイトルのみことばを知った。

 

 

夕方が物悲しくて切なくて心細い時間帯だと思うのは

私だけではないと思う。

 

聖書では

イエス様が十字架にかかり死に至る時間は夕方であり

マリアをはじめとする女たちが墓がからであるのを

知るのは朝である。

 

「ラボニ(先生)」 

 

なんとも甘いシーンである。

 

洗礼を受けて、この復活のシーンを知って

本当の甘さがどういうものかがわかった気がした。

 

自分がまったく違う生命体になったような

新しい感覚が生まれたような

もう自分であって自分ではないような

 

死んで生まれ変わる、という体感を得たように思う。

 

夕があり、朝がある。

 

洗礼後、

 

朝があって夕方へ進んでいくこれまでの日常が

新しい時間軸、始まりは死からというプロセスへ置き換わり、

魂の凪を味わう世界へと変わっていった証しを綴っていきたいと思います。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

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