導かれし道

 

 

コロナ禍で止まったような2年を過ごし、少しづつ動き始めた時計の針

毎晩、寝る前、神様に祈っている。

 

末の子に会いに行こうと準備を始めている。

 

電話も取らない、メールも届かない、会いに行っても会ってくれない。

会ったその日に、あなた自分の宗教を押し付けて、とそれでも母親か、と怒りの電話と、二度と会わせない、という厳しい通達が来たが・・・

あなたもそれでお母さんが嫌いになったの? と絶望感から恐る恐る聞いたら、

いや、それは大丈夫、それではない、それに関しては大丈夫、と

その時ばかりは油断して振り向いた顔は素直な顔だった。

 

反抗期をやってみてるのか・・・

そう思うほど、あっち行って、と睨みつけていた顔とはまるで違う素直な真顔

 

 

洗礼したことを悔いているわけじゃない、それを怒っているわけじゃない

 

何よりもありがたいとっさに出た真顔の答え

 

反抗期が収まるまでは会えないか・・・

それから、待って、待って・・・そうしたらコロナ禍が来た。

 

気づけば何年会っていないのだろうかと、辛くなっている。

傍に行って、近くで宿をとり滞在してみようと思う。

 

あまりにも何かが辛くて、

 

 

夢を見させてください、と主に祈って一か月余り

不思議なことに毎日違う人たちが登場する。

 

幼馴染だったり

昔の同僚だったり

近所の人だったり

TVの人だったり

 

洗礼から今日まで導かれ過ごしてきた毎日は、整理すればするほど

なるほど、と思うことばかり

 

神様の時は理にかなって美しい、というが

順序が違っていたらこうはなっていない、なるほど、と思う。

すべてが理にかなう。

 

今、末っ子に会いに行くのは理にかなっているのだろうと思う。

「時」 は、歴然として、それであり、

ピタリと合うものなのだと泣きたくなる。

 

練られ練られて、くたびれたと思うが希望はあり、

もう少し頑張れそうだ、祈りながら歩む道には優しさがある。

ムチ打つような焦りはなく、泣くも笑うも神様の愛に気づくことばかり

 

会いたい

 

 

イエス様、

主よ、あなたを知らなければ、人生なんて恐ろしいことばかりです。

あなたを知って、苦しい時も寂しい日も、

絶対、あなたは完成させて下さる方である、という安心感が、平安が

すぐにこの身を包んでくれます。

 

導かれて歩く道のりは

きついけれど甘く、

 

やはりすべてが希望です。

ハレルヤ。

 

 

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神は死なない

 

しばらく書いていませんでしたが、証しを続けて書くということを少し休むと、

自分は今何をしてどこにいるのか、

すべてが止まったような不思議な感覚があった。

 

洗礼のあと、

二つの世界を生きているような感覚があったり、

聖霊にすべてが満たされて他者でさえ、自分が見ている世界の中へ完全に取り込まれている感じを見たり

 

洗礼を受ける前と、受けた後では生きている舞台が違ってきたと感じている。

 

 

 

神様には死がない。

 

シェアしてくれる方を探して20年が経った。

今も探している。

 

イエス様は神様である。

 

神様には死がない。

では、死と復活を人類へ見せて下さったイエス様がなさったこと、そのことを

シェアしませんか、と声をかけるのもはばかれる繊細な空気はなんだろうか

 

そう思いながら

深くシェアしたい、と祈りながら書いている。

 

宗教団体や政治団体、思想団体には属していない。

属することで、ただ神をまっすぐに礼拝したい、という自由さが損なわれては

洗礼前の世に縛られていた不自由がよみがえってしまう。

 

 

神はレビ族に譲り地をお与えにならなかった。

 

譲り地を与えられた兄弟が納める十分の一、神への分が彼らの取り分となる。

時の情勢に左右されずに

ただ神へ受けた譲り地やタラントを倍にし、返納する兄弟の信仰の分だけを

自分たちの神に仕える日常の暮らしの糧とする。

 

このしくみの美しさに

神の摂理の完璧さの一理をみる。

 

兄弟にも信仰がある。

それも前提であり

レビ族・祭司の仕えるのはただ神のみ

兄弟たちの商売が繁盛したり、畜産が栄えたり、農地が豊作を生み出したりすることへの祈りを直接するわけではない。

 

誰かの位置から祈ることをしない。

 

神に仕えることととりなしの祈りは違うのだということをモーセの箇所でも知ることができる。

ダビデ王のウザの箇所からも知ることができる。

 

神の領域は光であり

聖であり

触れれば死ぬ。

面と面で会えば死ぬ。

闇は光に勝てない。

 

120年という齢をまとった人は光ではない。

直接見れば死ぬ。

 

イエス様は、仲介者としてこられた。

この方を通してでなければ何人も光の方へ移ることはできない。

永遠の命は光の中にしかない。

なぜならそこは神と人とが共に住まう場所とされているからだと書かれている。

 

イエス様を通れ

この方を知れ

 

今もこの時も神の差しべている救いはこれのみだと聖書は語っている。

コロナ禍、地震、不況、戦争のうわさ・・・

 

霊が寝ている場合ではない、覚めよ、覚めよ、と思うのに

彼らのうなじは強くなる、とも書かれている。

 

人々の愛は冷たくなり、とも書かれており、

人の魂の値段も安くで売り買いされる、とも書かれている。

 

神様には死がない。

 

イエス様は神さまである。

 

この方・イエス様という門を通った者には永遠の命が与えられる。

イエス様は光である。

神である。

人でもあった。

 

クリスチャンはもっとも苦しい時に、その奥義に出会い

そのありがたさに、喜んで死んで生まれ変わるという洗礼を受けた人たち。

ただ奇跡。

神側からのギフト、

苦しい時、もっとも苦しい時、人へ走らず、モノへ走らず

助けてください、神様・・・

その刹那、渇きの刹那に、神の慈しみの涙のしずくが

魂の殻にできた割れ目にポタリと落ちて、

その人への救いの道ができるのだと、私は経験から思う。

 

苦しい時代

ひととき

自分だけの時に、神の救いの一滴を求めてほしい、と

祈ります。

 

 

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寒くなると聴きたくなる

 

 

 

 

 

寒くなると聴きたくなります。マーティンさんの路上ライブ。

温かくて優しくてきれいな歌声です。

 

行きかう人のドラマも想像してしまうような映画のような映像

とても大好きです。

 

海外旅行に行きたくなります。

 

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昨夜の月夜、今朝の寒さ

 

 

昨夜は、不思議な月夜に驚きました。

そして、自分は何を知っているんだろう。

知らないことだらけで、こうして毎日生きれていることへ

畏怖の念が湧いてきました。

 

イエス様という神様がいること

この方は人であったが神様であること

 

とてもシンプルな信仰ですが、

どうしてこうはっきりと言えるのか

これだけは、一人、ひとりに起きた身の上話で

同じ話は一つもない、と思っています。

 

私の身の上話をしても良いでしょうか。

 

結構です、と言われることもあるが、聞いてみたいという方もいる。

 

私たちは家族でイエス様を味わった。

あれもこれも奇跡だった、そして今も続いている。

 

だが途中の奇跡を綴る前に、

時代が大きく変わっていくちょうど今、家族はバラバラになっている。

あれと今のこれと・・・証ししあう霊にあっての新しい兄弟姉妹が

バラバラに、繋がらずにいる、油断したな、と痛恨の思いでいる。

 

油をたやすな

油は神の霊

 

一人きりの熾火のような火でも二人なら松明

それを束ねれば常夜灯になれるから、バラバラになるのはやめよう

注意しよう、と声かけあっていたのに

コロナ禍の直前に何故だかみなバラバラになってしまった。

 

感染予防に追われている間に2年近くの歳月が過ぎ

昨夜の月夜に、はっとなった。

 

「子らよ、わたしに帰れ」

 

人間の私でも子供たちへそう願い祈り魂は訴えている。

 

私たちの造り主

主は、触れば消えてしまうわが子たちを、どのように見ているのだろう。

失いたくない、一人も失いたくない、と見ておられる神様

 

 

それなのに、

イエス様を知った、ということを、

生きていく上での最上のツール、死と復活を知ったことだけを

妙に長けて使いこなし・・・

神様そのものをお前は知ろうとしてきたか・・・と、

 

月のまわりにできた見たこともない大きな輪

神様が天から見ているような神秘に息を呑み何度も何度も空を見上げた。

 

神秘

 

神様の息遣いがすぐ近くまで迫ってきているように感じて

昨夜は、天が近かった。

 

わたしだ、と天が近かった。

 

賢い乙女でいたい

常に油を携えている乙女でいたい。

 

 

神様を第一とする非凡な達人に出会った日々を思い出し

命をかけて神様を伝えてきた先輩方を思い出した。

 

コロナ禍で集えないクリスチャンライフの危うさを昨夜は気づかされました。

集まることをやめてはいけない。

そう聖書に記されている。

 

 

 

早く通常どうりシェアできる日々を祈ります。

 

 

 

 

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