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    2022/04/14

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    今年、二度、郷里の空き家で過ごした。とても遠い外国とほぼ変わらない郷里でハンディキャップのある子と二人、一ヶ月、時には二か月滞在するのは、とても大変でもある。片 ...

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    2022/04/11

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    田舎で過ごして東京へ戻り心の思うところがまったく違うと感じて、また目からうろこが落ちた。コロナ禍で緊張し続けてもうだいぶ時間が経った。一ヶ月の滞在中、紹介された ...

 

 

日曜日、ビルの中の都会の一室で礼拝に出席してきた

 

サポートがあってたどり着いたのだが、

さて次は大丈夫か・・・

 

田舎の教会では一か月の滞在と祭りの準備などで、名前も覚え

互いの証しも知り、何十年も前から知っている近隣の人たちより

いっきに親しくなった。

 

イエス様の話をするかしないかで、親戚以上に近くなる。

 

個性も状況も互いに違うのは当然だし、その時、その方に何が禁句

なのかも知る由がない。

 

ただ一点

仲介者の霊が介在するだけで、互いに失礼が存在しない。

幼い子供に励まされたり、だいぶ年上の先輩にも癒された。

 

全てが不思議ばかりだった。

 

東京へ戻り、感染対策の2週間を経て久しぶりに電車に乗った

帰りの電車で明らかに家を持たないであろう人と乗り合わせた。

慌てて置いて行ってしまったヘヤーブラシをドアが閉まる前、渡そうと

思ったが間に合わない。

 

というより、

私は何もしていなかった。

体が何もできなかった。

 

神様のことばに触れ礼拝した帰り、体はただの役立たずであった。

 

しばらくして

田舎でぐったり疲れ果てていたが、

あの人にもあの子にも役にたっていたであろう私とこども

 

子供が、わたし塗り絵だけしてしまったけれど・・・と

家に帰ってぽつりとこぼすのを聞いて

ああ、この子も、

体もセットやなあ、と礼拝の意味を感じたのだと主に謝った。

 

これが導きなのだと知る

 

役立たずは夜のとばりに放り出されるのだと思う

 

体はセット

神はことばは人の間に幕屋を張られた。

 

イエス様、ことばである方は、幕屋、ひとの体をまとわれたのだ。

その幕屋を十字架で死に渡し切り裂かれこの方は

ことばである方は、体全部を使ってしまわれたのである。

 

からだよ、動け

恐れるな、たじろぐな、虫けらのヤコブ

 

体中張り巡らされた神経という名の有刺鉄線

これがあるゆえに人の命は恐れて保とう、保とうとする120年

契約の古い置き土産のようなものとなった。

 

それを脱ぎ捨て、次があるということを示された神

 

それを知ったのだから、変態かもしれないが

有刺鉄線も怖くはない

 

次があるのだから

 

新創造

 

神は神

その神、最高の権威が約束して下さった生まれ変わり

幕屋を知れば知るほど、ありがたくて、次を見ようと前へ出る

 

町も田舎も主の霊は関係なく信じる者の中へ幕屋を張られ

住んでくださる。

 

幼子の心の中にも主の霊

高齢で座るのがつらかろう方の中でも神の霊が見ている

 

ハレルヤ!

 

感謝です。

 

 

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今年、二度、郷里の空き家で過ごした。

とても遠い外国とほぼ変わらない郷里でハンディキャップのある子と

二人、一ヶ月、時には二か月滞在するのは、とても大変でもある。

 

片づけなければならないことがあり、

お金も体力も時間も全部持っていかれそうな過酷な帰省に

天国にいる親に時には愚痴も出る。

 

なんのためにこんなことをしているのだろう。

教会で出会う温かいシェアに、このため・・・か

と涙が流れる時もあった。

 

だが

 

東京に戻り

楽な自宅生活に戻り

 

 

恐ろしくはっとなった。

 

祈った時

手に重さを感じることや鳥肌が立つことはこれまで経験してきたが

 

郷里で

実は凄い人に会ってしまったのです。

その方は、わずか20分ほどでご自身がつくられた「幕屋」を披露説明

された。

 

私の両親に会ったことがあるというので、家での披露となった。

本日初披露ということで、時間も限られた中で説明まであった。

 

その時

子供と三人がいる部屋がそのまま天とつながってしまったような不思議な

時間、光景が起きた。

 

うちの事情を知らないで、「幕屋」を説明しているその方

幕屋をミニチュア模型で初めて見る、「神」への畏れが過ぎて

かつて、体を壊した感のある私、巻き添えになってしまった子供・・・

 

神様って・・・

 

生きるってなんだろう・・・

 

20年、避けてきたこと

逃げていること

ビビリな私は、じつは今も東京に戻ってもうわのそらである。

 

日曜日

コロナ禍になる前まで通っていた教会へ行こうと思っている。

祈るためであるが、教えも乞いたい。

 

幕屋の大切な説明の時

バクバクと心臓が持たず、巻いて終わった説明があった。

 

「高ぶる波はここまで」

 

 

聖書には、はい、そうです、というみことばが全部そろってある。

神様のことばなのだから、それもそのはず。

 

日曜日に向けてただひたすら恩寵にすがるように祈っている。

 

主よ、あなたを知ることが心を落ち着けるゆいつの方法となりました。

それ以外、自分を落ち着かせる術がありません。

 

わたしはキリストクレイジー

あなたの幕屋

もう一度教えてください。

今度はこわがりません。

 

聖書

一冊に仕上げられた書物

 

それなのに

20年経ってもわたしは一部も知らない。

 

世にある大量の情報に、本に埋もれてきたはずの読むのは好きな

ほうなのに、わたしのボロボロの聖書は、まだまだ、まだまだ奥があるのだと

息をしているように招くのです。

 

全部がそうか、そのためか

そういうふうに後でわかってくる。

 

「これが道だ。これをゆけ」

 

もう備えが早々とわかるようになって

天が開いている感じがますます強まって

 

ハレルヤ!

ただ神をほめたたえます。

そして、役立たずにならないよう

神の息に繊細に反応できるよう

そう祈っています。

 

 

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田舎で過ごして東京へ戻り

心の思うところがまったく違うと感じて、また目からうろこが落ちた。

 

コロナ禍で緊張し続けてもうだいぶ時間が経った。

 

一ヶ月の滞在中、紹介された教会へ子供と必死に通った。

24時間、神様の中だけにいたい感覚があって、買い物へ行く前に立ち寄って、

密かに祈ろうと思ったが、住まいも一緒の奥様に気を遣わせてしまい、

二度目で反省、学習して、市街地より遠い場所での二人暮らしの孤独感を

仕方ない、と諦めた時、

 

イエス様が何故、十字架なのか

神の右の座に就くということがどれほどのことなのか、

 

ああ、帝王学って・・・

ここから来ているのか、と鳥肌が立った。

 

誰でも人は生きている以上、いつか必ず体のどこかが痛くなる。

誰かが助けてくれなければ、痛みにのたうちまわって絶望で時間と

戦うしかないし、死が逃げていく、というみことばさえ聖書にはある。

 

弱さには弱さの救いがあり、

強者にはつわものの救いがある。

 

神は、限りなく底をすくい

限りなく高きを打つ。

 

ご自身のひとりごを十字架にかかってこい、とご計画をたてる。

それを成し遂げるひとりごの神

 

何もない、誰もこない大自然の中での子供との田舎暮らし

心細かったが、救いのみわざの意味が次々と降りてきたというのか、湧いてきて

いかに日常を心細さのゆえに人へ人へと向けていたことか、とはっと、

気づいた次第。

 

主を思う時間はどうした?

 

日常へ戻った今も人へ人へといこうとする心を止めるものがある。

 

知れ、わたしを知れ、という神の息が近いままなので、

もう誰彼と話したい、という心細さが消えてしまった。

 

体もあちらこちら痛む時があっても

「閾値」 だ。

ゼロか10だよ、とすぐに消えよ、と命じる勇気が出てきた。

 

座る、主の中に座る

 

死ぬときは死ぬとき

十字架上の主は、額から頭上から足に至るまで

あらゆるところを痛みに預け、死に渡し、

そして死から蘇り御父の右の座に着いておられる。

 

帝王学の奥義を感じて泣きそうになりながら

弱虫のままの自分の毎日に呆れながら、

 

そんな人をも愛してやまない神の手厚い保護を

今のこの時代、

全ての人が恐れているこの時代、

誰でも感じる時が近いというのは、すべての治療に勝るチャンスと感じている。

 

恐れるな、とも語る。

 

どん底を知る時も神の息に触れるチャンス

誰彼を救いたいと、大きなジャンプをしようとする若者にも

神の息に触れるチャンスがある。

 

疲れたなら折れてみたらいい。

ポキンと折れてみればいい。

 

イエス様は個人の負いきれる重荷を十分に知っておられる方

負いきれない分はすでにわたしが負ったではないか

あなたにはできない、わたしがした、わたしに帰れ、と語る。

 

 

わたしを信じるか

はい、主よ、あなたが救い主であることを信じます。

 

救ってください。

助けてください。

 

人の心に選択肢を置かれた神は、

生ぬるいものは吐き出すとも聖書には書かれている。

 

熱いか

冷たいか

 

神は光

光は光であり、

共にあるならば、グレーも黒も残れるはずがない

 

主は道であるのだから、その道でしか光にはたどり着けないのだと

聖書は語る。

 

 

 

24時間、教会で暮らしたいほど

田舎の教会生活は天国にいるようで、子供と二人、今も感謝です。

 

ハレルヤ!

 

 

 

 

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いよいよという時が近づいて祈りあう人を求めた。

 

若い兄弟と祈りあった。

若い声でアーメンという。

ありがたくて涙が出る。

 

イエス様は母マリアと兄弟が訪ねて来た時、

私の母とは誰ですか。兄弟とは誰ですか。

信仰にある兄弟姉妹が母であり、兄弟である、と明言している。

 

神様が語ったのだから、そうである。

 

偽善も取り繕いもない

一点でつながる祈り

もうそれしか要らない。

 

 

もう一人、

私より年長の姉妹へ電話をかけた。

体調を崩しているが、全力で共に祈りあってくださった。

 

ありがたかった。

 

自分のことなら電話はかけない。

 

二人の祈りの力を得て、こうべをあげて

身を起こして、主の武具を身に着けて、

さて、また動き出そうという元気が出てきた。

 

二人、あるいは三人の者が心をひとつにしてわたしの名にあって

祈ればわたしはそこにいる。

 

そう聖書に書いてある意味がしみじみと心にしみた。

 

主よ、あなたの十字架がなければ

私たちは存在しません。

ハレルヤ

 

 

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