わずか一か月が経っただけなのに、もう一年が過ぎたような感覚でへたっていた。

 

近所に教会を見つけ行っても見たが、その翌週は自宅で祈ることにした。

 

何かが変だと感じて、朝起きたらすぐに聖書を読むことにした。

エレミヤ書を読んでいる。

 

8章

  彼らはみな、戦いに突入する馬のように、

  自分の走路に走り去る。

 

7 空のこうのとりも、自分の季節を知っており、

  山鳩、つばめ、つるも自分の帰る時を守るのに、

  わたしの民は主の定めを知らない。

 

 

***

 

 

契約の民が捕囚の民となる前、主の嘆きや御怒りがエレミアを通して

語られていく。

 

神様を知るというのは本当に不思議な経験だ。

どん底の時に、畏れ多くも神がなんであるかがわかり

十字架がなんであるかがわかってしまい、聖書が、聖なる書物だと

気づいてしまう。

 

人生は短い。

楽しい日もあり、苦しい日もある。

出会いもあれば別れもあり、

得た日もあれば失う日もある。

 

走路に走り去っていった日もあろうが、

自分の帰る時、定めの時、主の時を守りたいものだと胸に迫る。

 

聖書があって

熱心にシェアできる友がいて

ひとつの熾火が気づけば松明に、常夜灯に

 

ただただ礼拝がしたい

 

 

世の楽しみよ、去れ

そういう感覚が本当に訪れてしまった。

 

 

 

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