人との出会いを若い頃は、それこそ出会い、と高揚した。

だが今は、一期一会か? とよぎることのほうが多い。

 

だから惜しみなく話をするマシンガントーカーになってしまった感がある。

 

無口だった親も晩年、よう喋った。

 

ずうとずうと喋り倒していた。

ことばで全部伝えようと思っていたんだな、と今ならわかる。

サービス精神だったのだと思い出す。

 

だがそれもエネルギーが尽きてきたら

指一本ですうと相手の手の甲を撫でてあっという間に相手を号泣させた

ことがあった。

 

亡くなる数か月前のこと

体は動かず、ことばも伝えられない。

 

だが相手の話す言葉の途中で

握ろうと伸びてくる相手の手の甲をそうと指でなぞっただけなのに・・・

相手は号泣

 

祭司の力って凄い、と相手は震えていたが

うさんくさいな、と親不孝なことばが一瞬頭をよぎった私の前で

ピュアに両者のまなざしはピタリと一致

 

だんだんできることが少なくなってきたら

きっと、あの極みのサービス精神の誰かを助けるという

凄みの意味がわかるようになるんだろうな、と最近思うようになった。

 

手で人を助ける

歩いて誰かを助ける

言葉で励ます

祈りあって助け合う

 

十字架の主はうなだれて

手を杭に持っていかれ

足も打たれ

 

それが人を救うためだったという。

 

 

動かせる指一本でも相手に応じようとした親の全身全霊さ、

今なら痛く、痛くわかる。

年を重ねていくことも悪くないと、思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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