日曜日、ビルの中の都会の一室で礼拝に出席してきた

 

サポートがあってたどり着いたのだが、

さて次は大丈夫か・・・

 

田舎の教会では一か月の滞在と祭りの準備などで、名前も覚え

互いの証しも知り、何十年も前から知っている近隣の人たちより

いっきに親しくなった。

 

イエス様の話をするかしないかで、親戚以上に近くなる。

 

個性も状況も互いに違うのは当然だし、その時、その方に何が禁句

なのかも知る由がない。

 

ただ一点

仲介者の霊が介在するだけで、互いに失礼が存在しない。

幼い子供に励まされたり、だいぶ年上の先輩にも癒された。

 

全てが不思議ばかりだった。

 

東京へ戻り、感染対策の2週間を経て久しぶりに電車に乗った

帰りの電車で明らかに家を持たないであろう人と乗り合わせた。

慌てて置いて行ってしまったヘヤーブラシをドアが閉まる前、渡そうと

思ったが間に合わない。

 

というより、

私は何もしていなかった。

体が何もできなかった。

神様のことばに触れ礼拝した帰り、体はただの役立たずであった。

 

しばらくして

田舎でぐったり疲れ果てていたが、

あの人にもあの子にも役にたっていたであろう私とこども

 

子供が、わたし塗り絵だけしてしまったけれど・・・と

家に帰ってぽつりとこぼすのを聞いて

ああ、この子も、

体もセットやなあ、と礼拝の意味を感じたのだと主に謝った。

 

これが導きなのだと知る

 

役立たずは夜のとばりに放り出されるのだと思う

 

体はセット

神はことばは人の間に幕屋を張られた。

 

イエス様、ことばである方は、幕屋、ひとの体をまとわれたのだ。

その幕屋を十字架で死に渡し切り裂かれこの方は

ことばである方は、体全部を使ってしまわれたのである。

 

からだよ、動け

恐れるな、たじろぐな、虫けらのヤコブ

 

体中張り巡らされた神経という名の有刺鉄線

これがあるゆえに人の命は恐れて保とう、保とうとする120年

契約の古い置き土産のようなものとなった。

 

それを脱ぎ捨て、次があるということを示された神

 

それを知ったのだから、変態かもしれないが

有刺鉄線も怖くはない

 

次があるのだから

 

新創造

 

神は神

その神、最高の権威が約束して下さった生まれ変わり

幕屋を知れば知るほど、ありがたくて、次を見ようと前へ出る

 

町も田舎も主の霊は関係なく信じる者の中へ幕屋を張られ

住んでくださる。

 

幼子の心の中にも主の霊

高齢で座るのがつらかろう方の中でも神の霊が見ている

 

ハレルヤ!

 

感謝です。

 

カテゴリー
タグ