今年、二度、郷里の空き家で過ごした。

とても遠い外国とほぼ変わらない郷里でハンディキャップのある子と

二人、一ヶ月、時には二か月滞在するのは、とても大変でもある。

 

片づけなければならないことがあり、

お金も体力も時間も全部持っていかれそうな過酷な帰省に

天国にいる親に時には愚痴も出る。

 

なんのためにこんなことをしているのだろう。

教会で出会う温かいシェアに、このため・・・か

と涙が流れる時もあった。

だが

 

東京に戻り

楽な自宅生活に戻り

 

恐ろしくはっとなった。

 

祈った時

手に重さを感じることや鳥肌が立つことはこれまで経験してきたが

 

郷里で

実は凄い人に会ってしまったのです。

その方は、わずか20分ほどでご自身がつくられた「幕屋」を披露説明

された。

 

私の両親に会ったことがあるというので、家での披露となった。

本日初披露ということで、時間も限られた中で説明まであった。

 

その時

子供と三人がいる部屋がそのまま天とつながってしまったような不思議な

時間、光景が起きた。

 

うちの事情を知らないで、「幕屋」を説明しているその方

幕屋をミニチュア模型で初めて見る、「神」への畏れが過ぎて

かつて、体を壊した感のある私、巻き添えになってしまった子供・・・

 

神様って・・・

 

生きるってなんだろう・・・

 

20年、避けてきたこと

逃げていること

ビビリな私は、じつは今も東京に戻ってもうわのそらである。

 

日曜日

コロナ禍になる前まで通っていた教会へ行こうと思っている。

祈るためであるが、教えも乞いたい。

 

幕屋の大切な説明の時

バクバクと心臓が持たず、巻いて終わった説明があった。

 

「高ぶる波はここまで」

 

聖書には、はい、そうです、というみことばが全部そろってある。

神様のことばなのだから、それもそのはず。

 

日曜日に向けてただひたすら恩寵にすがるように祈っている。

 

主よ、あなたを知ることが心を落ち着けるゆいつの方法となりました。

それ以外、自分を落ち着かせる術がありません。

 

わたしはキリストクレイジー

あなたの幕屋

もう一度教えてください。

今度はこわがりません。

 

聖書

一冊に仕上げられた書物

 

それなのに

20年経ってもわたしは一部も知らない。

 

世にある大量の情報に、本に埋もれてきたはずの読むのは好きな

ほうなのに、わたしのボロボロの聖書は、まだまだ、まだまだ奥があるのだと

息をしているように招くのです。

 

全部がそうか、そのためか

そういうふうに後でわかってくる。

 

「これが道だ。これをゆけ」

 

もう備えが早々とわかるようになって

天が開いている感じがますます強まって

 

ハレルヤ!

ただ神をほめたたえます。

そして、役立たずにならないよう

神の息に繊細に反応できるよう

そう祈っています。

 

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