月別:2022年04月

 

気づけば、迷子のような今年の行ったり来たりの慌ただしさ

 

そして、当たり前のように凄い人ばかりとシェアしてきたことに

今頃気づいて、今日など、祈りが届かず、ひどい目にあったと自宅に

戻り、またまたはっとしています。

 

神様の指の指し示す通りでないと、

めちゃキツイ目に遭っていると気づいて、これまで味わったことのない

状況に、何かが変だ、とようやく、ようやく自分のおちょこちょいな性格に猛省

している。

 

今年って

やはり例年とは違う

あまりそういうこと言うことなどなかったのに

思い切りスピリチャルなことをそのまま素直に書いてみます。

 

スムーズにコトが運ばない

 

ありえない思いを完全に超えたサプライズや出会いがある

 

体がめちゃくちゃ痛くなる

 

天国にいるようにあったかい気持ちいい気分に浸っている

 

真ん中はないんかい

というように極端な状況に、戸惑っている。

 

場所や人など何も思わないで運ばれてきたイエス様の車両

 

今年、電車が止まってドアが開いて、外へ出て、終われば車両に戻る

砂漠の外を歩いて天幕に戻る

 

そんな感覚がする。

昨年まで、私は車両の中だけで生活の糧も得て、子供を育てて、外の景色は

シャーと過ぎていくような感じで見ていたように覚えている。

 

今はなんでしょう。

はいはい、降りて、やることやって、

滞在時間は00時間ね、出発は置いていくことはないけれど

それぞれ未知の世界は冒険せずに、慣れたことをやって戻ってくるだけでいいから

 

という感じで・・・

 

年代によってもちがうのでしょうが

私の脳内は今こんな感覚です。

 

もう完全に迷子です。

処理能力などとうに超えているように思います。

 

穴に落ちた一匹の羊のような気分です。

 

イエス様、穴に落ちた私を救い出して下さった主

 

あの時とは違う穴だとわかります。

 

今度の穴は、

Googleearthで、人が地図の位置にぽつんとはまったあの絵図のような

目指す方向、体の向きも、頼むからもう動かないでいいよ、

そこだから、と迷子の達人の私の脳内はそんな感覚です。

主はそこにおられる。

もうあなたと共におられる。

右往左往するな

 

もう何もしなくていい

あなたは目的地に着いている・・・と

 

それと同時に車両のドアも開く

 

さあ、やってきなさい、と促す声も感じる。

 

生きていくって、次々不思議だと思う。

 

厳粛な気持ち、襟を正すような背筋が伸びるような

今年に入ってそんな感覚が強くなっています。

 

「わたしがあなたの神である」

 

ハレルヤ、主よ、感謝します。

 

主は常にいまし今いまし・・・アーメン

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人との出会いを若い頃は、それこそ出会い、と高揚した。

だが今は、一期一会か? とよぎることのほうが多い。

 

だから惜しみなく話をするマシンガントーカーになってしまった感がある。

 

無口だった親も晩年、よう喋った。

 

ずうとずうと喋り倒していた。

ことばで全部伝えようと思っていたんだな、と今ならわかる。

サービス精神だったのだと思い出す。

 

だがそれもエネルギーが尽きてきたら

指一本ですうと相手の手の甲を撫でてあっという間に相手を号泣させた

ことがあった。

 

亡くなる数か月前のこと

体は動かず、ことばも伝えられない。

 

だが相手の話す言葉の途中で

握ろうと伸びてくる相手の手の甲をそうと指でなぞっただけなのに・・・

相手は号泣

 

祭司の力って凄い、と相手は震えていたが

うさんくさいな、と親不孝なことばが一瞬頭をよぎった私の前で

ピュアに両者のまなざしはピタリと一致

 

だんだんできることが少なくなってきたら

きっと、あの極みのサービス精神の誰かを助けるという

凄みの意味がわかるようになるんだろうな、と最近思うようになった。

 

手で人を助ける

歩いて誰かを助ける

言葉で励ます

祈りあって助け合う

 

十字架の主はうなだれて

手を杭に持っていかれ

足も打たれ

 

それが人を救うためだったという。

 

 

動かせる指一本でも相手に応じようとした親の全身全霊さ、

今なら痛く、痛くわかる。

年を重ねていくことも悪くないと、思い出した。

 

 

 

 

 

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日曜日、ビルの中の都会の一室で礼拝に出席してきた

 

サポートがあってたどり着いたのだが、

さて次は大丈夫か・・・

 

田舎の教会では一か月の滞在と祭りの準備などで、名前も覚え

互いの証しも知り、何十年も前から知っている近隣の人たちより

いっきに親しくなった。

 

イエス様の話をするかしないかで、親戚以上に近くなる。

 

個性も状況も互いに違うのは当然だし、その時、その方に何が禁句

なのかも知る由がない。

 

ただ一点

仲介者の霊が介在するだけで、互いに失礼が存在しない。

幼い子供に励まされたり、だいぶ年上の先輩にも癒された。

 

全てが不思議ばかりだった。

 

東京へ戻り、感染対策の2週間を経て久しぶりに電車に乗った

帰りの電車で明らかに家を持たないであろう人と乗り合わせた。

慌てて置いて行ってしまったヘヤーブラシをドアが閉まる前、渡そうと

思ったが間に合わない。

 

というより、

私は何もしていなかった。

体が何もできなかった。

神様のことばに触れ礼拝した帰り、体はただの役立たずであった。

 

しばらくして

田舎でぐったり疲れ果てていたが、

あの人にもあの子にも役にたっていたであろう私とこども

 

子供が、わたし塗り絵だけしてしまったけれど・・・と

家に帰ってぽつりとこぼすのを聞いて

ああ、この子も、

体もセットやなあ、と礼拝の意味を感じたのだと主に謝った。

 

これが導きなのだと知る

 

役立たずは夜のとばりに放り出されるのだと思う

 

体はセット

神はことばは人の間に幕屋を張られた。

 

イエス様、ことばである方は、幕屋、ひとの体をまとわれたのだ。

その幕屋を十字架で死に渡し切り裂かれこの方は

ことばである方は、体全部を使ってしまわれたのである。

 

からだよ、動け

恐れるな、たじろぐな、虫けらのヤコブ

 

体中張り巡らされた神経という名の有刺鉄線

これがあるゆえに人の命は恐れて保とう、保とうとする120年

契約の古い置き土産のようなものとなった。

 

それを脱ぎ捨て、次があるということを示された神

 

それを知ったのだから、変態かもしれないが

有刺鉄線も怖くはない

 

次があるのだから

 

新創造

 

神は神

その神、最高の権威が約束して下さった生まれ変わり

幕屋を知れば知るほど、ありがたくて、次を見ようと前へ出る

 

町も田舎も主の霊は関係なく信じる者の中へ幕屋を張られ

住んでくださる。

 

幼子の心の中にも主の霊

高齢で座るのがつらかろう方の中でも神の霊が見ている

 

ハレルヤ!

 

感謝です。

 

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今年、二度、郷里の空き家で過ごした。

とても遠い外国とほぼ変わらない郷里でハンディキャップのある子と

二人、一ヶ月、時には二か月滞在するのは、とても大変でもある。

 

片づけなければならないことがあり、

お金も体力も時間も全部持っていかれそうな過酷な帰省に

天国にいる親に時には愚痴も出る。

 

なんのためにこんなことをしているのだろう。

教会で出会う温かいシェアに、このため・・・か

と涙が流れる時もあった。

だが

 

東京に戻り

楽な自宅生活に戻り

 

恐ろしくはっとなった。

 

祈った時

手に重さを感じることや鳥肌が立つことはこれまで経験してきたが

 

郷里で

実は凄い人に会ってしまったのです。

その方は、わずか20分ほどでご自身がつくられた「幕屋」を披露説明

された。

 

私の両親に会ったことがあるというので、家での披露となった。

本日初披露ということで、時間も限られた中で説明まであった。

 

その時

子供と三人がいる部屋がそのまま天とつながってしまったような不思議な

時間、光景が起きた。

 

うちの事情を知らないで、「幕屋」を説明しているその方

幕屋をミニチュア模型で初めて見る、「神」への畏れが過ぎて

かつて、体を壊した感のある私、巻き添えになってしまった子供・・・

 

神様って・・・

 

生きるってなんだろう・・・

 

20年、避けてきたこと

逃げていること

ビビリな私は、じつは今も東京に戻ってもうわのそらである。

 

日曜日

コロナ禍になる前まで通っていた教会へ行こうと思っている。

祈るためであるが、教えも乞いたい。

 

幕屋の大切な説明の時

バクバクと心臓が持たず、巻いて終わった説明があった。

 

「高ぶる波はここまで」

 

聖書には、はい、そうです、というみことばが全部そろってある。

神様のことばなのだから、それもそのはず。

 

日曜日に向けてただひたすら恩寵にすがるように祈っている。

 

主よ、あなたを知ることが心を落ち着けるゆいつの方法となりました。

それ以外、自分を落ち着かせる術がありません。

 

わたしはキリストクレイジー

あなたの幕屋

もう一度教えてください。

今度はこわがりません。

 

聖書

一冊に仕上げられた書物

 

それなのに

20年経ってもわたしは一部も知らない。

 

世にある大量の情報に、本に埋もれてきたはずの読むのは好きな

ほうなのに、わたしのボロボロの聖書は、まだまだ、まだまだ奥があるのだと

息をしているように招くのです。

 

全部がそうか、そのためか

そういうふうに後でわかってくる。

 

「これが道だ。これをゆけ」

 

もう備えが早々とわかるようになって

天が開いている感じがますます強まって

 

ハレルヤ!

ただ神をほめたたえます。

そして、役立たずにならないよう

神の息に繊細に反応できるよう

そう祈っています。

 

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