月別:2022年03月
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いよいよという時が近づいて祈りあう人を求めた。

 

若い兄弟と祈りあった。

若い声でアーメンという。

ありがたくて涙が出る。

 

イエス様は母マリアと兄弟が訪ねて来た時、

私の母とは誰ですか。兄弟とは誰ですか。

信仰にある兄弟姉妹が母であり、兄弟である、と明言している。

 

神様が語ったのだから、そうである。

 

偽善も取り繕いもない

一点でつながる祈り

もうそれしか要らない。

 

もう一人、

私より年長の姉妹へ電話をかけた。

体調を崩しているが、全力で共に祈りあってくださった。

 

ありがたかった。

 

自分のことなら電話はかけない。

 

二人の祈りの力を得て、こうべをあげて

身を起こして、主の武具を身に着けて、

さて、また動き出そうという元気が出てきた。

 

二人、あるいは三人の者が心をひとつにしてわたしの名にあって

祈ればわたしはそこにいる。

 

そう聖書に書いてある意味がしみじみと心にしみた。

主よ、あなたの十字架がなければ

私たちは存在しません。

ハレルヤ

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2022年で洗礼20年

 

今年3月14日で洗礼してから20年となる。

 

年が明けてすぐ旅生活になり、二か所の教会でお世話になった。

 

祈り会は夜なので、近くのホテルを取り、暗い夜道の運転にナーバスにならずに

祈りに集中できた。

 

奇跡はホテルに戻った時から始まった。

祈りはすべて叶えられ、今でも不思議ばかりの上に立っている。

東京へ戻ってきたが、来週からまた東京を離れることになる。

 

息子に会えるだろうか

 

住所も知らずに挑んだが、祈り会の夜・そして翌日、

かかってくるはずのない子供の父親から電話があり、

息子の住所と部屋番号を教えてもらった。

 

電話は、自分は癌だ、という内容が最後に足された。

しばらくぼおーとしていると、トロくなる私にすぐにイラッとしただろうが

上手に隠して、

自分は心がない人間だからという、奇妙な話を続けてきた。

 

その奇跡の電話に従って会いにいったら、息子と会えた。

部屋で一緒に祈ることもできた。

洗礼を受けたことを後悔しているなら、祈りあうのはいいからね、

と伝えたら、それだけはない、と言って、アーメンと共に祈った。

 

だが翌日から、後妻であり、息子の義母となった女性の反撃を受けて

もとと変わらない、警察へ通報しますから、接近禁止ですから、と

また会えない人に息子はなってしまった。

 

砂漠で飲むコップ三分の一ほどの水

そのあとはまた砂漠の時間が続くだけ・・・

 

そんな水を飲め、と初めから知っていたら私は飲めただろうか。

正直、ただただ苦しい。

 

こういう拷問は母親を殺すのに最上なのだろう。

私は生きている間、砂漠をふらふらと歩くこれからを終わらせたくて

息の根が止まるかもしれない道を選択したのかもしれない。

 

今の暮らしを止めて、もとの地獄絵図の世界へ飛び込もうとしている

自分の今の状態を、そうとしか思えなくなる瞬間がある。

 

東京暮らしは息子さえいれば、今まで生きてきた中で最高の至福の時間だ。

 

洗礼前に味わった気味の悪いできごとばかりだった場所へ舞い戻ろうとする

スイッチを入れたのは、やはり

「俺さ、がんになってさ」

というところから始まったように思う。

 

奇跡の電話だと感じたあの瞬間

あれは何かの始まりだったことは確か

終わりの時代、聖書にはこうある。

 

女が二人いたら、一人は部屋に荷物を取りに戻り

もう一人は、そのまま主に導かれるまま屋上へ行くという箇所がある。

 

教会で部屋に荷物を取りに行くのは魂へ戻ることと教えていただいた。

 

「はい、主よ」

 

私は、屋上へ向かいたい。

 

地獄を見た場所へ導かれても、そこに主がおれば私はそこへ行きたい

 

敵であろうが、鬼であろうが、

あの時の私はもう死んだ。

生まれて主と共にある20年で、正直、私はもう何も怖くない。

 

何が一番怖いかというと

主から役立たず、と言われることが怖い。

主はそういうことは言うまい、言わせない、というほどに

キリスト者は誰もが主を愛しているのだと思う。

ヨナ書を読んだ。

 

「はい、主よ。しもべはここにおります」

 

愛する方に愛されたい。

愛して下さっている方に応えたい。

 

主の時はすべて理にかなって美しい。

祈りはすべて聞かれている。

ハレルヤ。

 

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