- 投稿 2021/10/10
- 聖句
私だけが感じているのだろうか。
流れが変わったように感じている。
ここ数日、自分の心境もガラリと変わった。
何が起こっているのだろうか。
世の中の状況が変わり、自分の心境もそれに伴い動き
自分の人生にも節目の時があればそれに応じて気持ちも変化する。
だが
ここ数日の変化はそのどちらかで味わったことのある感覚ではない。
新感覚だと思う。
コロナ禍で私は郷里に帰り実家の神職を継ぐのだと思っていた。
子育てや仕事は現役を終えた感がある。
残すは、逃げたという後ろめたさが消えないことから
そこへ向けて準備を考えていた。
それが今は、東京から動くまい、という意志が生まれてきている。
子供たちが前線で働く時代となり、コロナ禍でも逃げずに立ち向かい続けた
だからこそ
背後から祈りの応援を、と思って出した考えだったが
「いつでもどこでもわたしの名にあって祈るならばわたしはそれを叶えよう」
しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。
今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなり
ません。
(ヨハネの福音書4章23節・24節)
これまで起きてきた不思議も全部ひっくるめて「 時 」がきたのかと思う
あなたがたが知らずに拝んでいるものを教えよう
それでいいんじゃないか、それしかないんじゃないか
聞く耳のある者は聞きなさい
と、
神様は自由意志を人に託された。
なぜなら聖書は結婚が最終ステージだからだ。
結婚の意志のない花嫁をもらうことほど不幸なことはない。
ハッピーエンドはウイン・ウインが条件であり、未来が明るいことが
定義のようなもの。
「あなただけが白木の家に住んでいてよいのだろうか」
主の語りは、名工がおろす一寸釘のように的中して心を打つ
どれもがその時、その箇所に打つべき釘であり
私は、まだ実際は迷っている。
教えてください、イエス様
主よ、あなたの御心のままに生きたいのです、とまだもがいている。
心の底は凪で静かなのに、脳のどこかがまだ考えようとしている。
なんともまどろっこしい状況です。