• 証し

 

洗礼を受けた場所から私たち家族は

自分たちが属していた社会生活から

まったく違う所へと移っていくことになる。

その順序が今思い出しても絶妙で

とても神様なしでは無理な展開だった。

 

シングルマザーで仕事も激務、4人の子供を抱えて

オーバーワークな状態・・・

家族はその時、

私一人が洗礼を受けたばかりで

ひと月かふた月かで展開された奇跡

 

子供たちはまだ生徒だったり幼児だったり・・・

そのうちの第4子を交通事故の際

資産家の父親の方が、大変だろうから、と連れて行った。

 

意識不明の重体だというので、まだ幼かった第3子・第4子

が連れていかれたが、回復した私のもとへ返されたのは第3子のみ

 

ハンディキャップがある子はそちらで、

こちらは男の子の跡継ぎが必要なので、もう会ってくれるな、と

いう申し出があった。

 

弁護士が5人連名で戦うという体制に

とてもじゃないが、財力が及ばず、負けた。

 

その戦いのはじめ

このように今後も会わせるからという

3歳の息子を二週間、夏休みに連れてきた。

 

まさか、それ以来会えなくなるとは思いもしていなかったが

親子の勘か、

翌日の日曜日、

 

子供たちを連れて、初めて教会へ礼拝に行った。

慣れない教会

ハンディキャップの子やまだ幼い息子を見て

教会の隅、出入が自由にできない角に椅子や机で

スペースを作って下さり、そこへ座るように言われた。

 

子供たちのトイレの出入りが不可能になる

と思い、机越しに子供を抱っこして連れていけるよう

上の子にそこを任せて、私は机の外側へ座った。

 

冷たい扱いに少し寂しさを覚えたが

礼拝が優先だとわかっているので子供たちもすぐに順応し、

高校の同級生がピアノを演奏し讃美歌を歌っていたので

それも心にしみて・・・

 

なにより救われたばかりの勢いは

イエス様の名前に触れるだけで号泣

ずうとなきどうしの初の教会礼拝だった。

 

教会を出て、

息子を海で遊ばせようと

海岸線を走っていたら

 

「おかあさんはおうたがすきなの?」

と息子が聞いてきた。

 

とてもうれしそうだった、と 

 

そして、

ぼくね、おひげのおとこのひとに

「ぼくがいちばんがんばっているね、

えらいね」

と、頭なでられた、と。

 

男性は、牧師と長老と呼ばれていた初老の男性が一名。

あとは女性ばかりの教会だった。

 

おじさん?

牧師さん? 牧師さんも初老の方だった。

 

「ううん、わかいひと」

若い人?

 

机があって、後ろから誰もまわりこめないのに

どうやって座っておもちゃで遊んでいた3歳児の頭を撫でたというのか

 

頭撫でられたの?

ううん、てをこうしてね、あたまにおいたの、と。

 

 

高校生の上の子が

「お母さん、イエス様だよ」

と泣き出した。

 

 

うん

 

 

後ろからではなく正面で会ったという息子に自宅で

イエス様の聖骸布の写真を見せると、うん、とうなづいた。

 

やっぱりイエス様だ・・・

上の子はまた泣き出してしまい、

 

 

神様ってすごい

そうよ、Aくんが一番頑張っているんだよ

必ずお姉ちゃん、偉くなってお金持ちになって

Aくん、家へ戻してあげるから、

ごめんね、寂しいよね、と末っ子を抱きしめて泣いた。

 

私は洗礼前なら罪悪感で心が闇まで落ちていただろうが

不思議なことに、

もう前のようにただ絶望する、という流れにはならなかった。

鈍感になったというのではなく、悲しくないというのでもなく

 

 

 

この日はたくさん写真を撮った。

そしてこの日の記憶が

私たちを出エジプトさせ、

子供たちを時間軸は違うが、次々洗礼へと導く流れになった。

 

私の徐脈は

この息子との別れに適応できない母親の心の限界

 

 

死んだ方がマシ、という選択

だが他の子たちはどうする? という葛藤の先に

神様が差し出した、人では解決できない

「救い」

 

子供たちへの救いの順序は、

 

一番理不尽な、自分の力ではどうしようもない

状況に置かれた3歳児へ、と神様は及ばれたのだと知る。

 

 

「おかあさん、おかあさん、いやだ、いきたくない、いやだ」

 

連れていかれる時の断末魔の泣き声

私は放心した。

 

生きていて何になる

 

今も心の傷が癒えることはない。

痛みの血は二人とも流れ続けている。

 

ただ

初めての教会で体験したあの時間が

生まれてきて良かったと思わせてくれる。

 

あれは地上の喜びの域を超えていた。

 

だから長くだらだらと人生が苦しかろうが

もう神様の電車は元のレールを走っているわけではないので

堂々巡りの悲しみの連鎖への悪夢を見せることはない。

 

 

 

イエス様の電車は希望という名

 

窓の景色に順序がつくだけ

必ずどれもこれもが神の恵みだらけになる、という奇跡。

 

息子と次に再会できたのは16歳の時

2日間ホテルで一緒に過ごした貴重な時間に、息子は洗礼を受けた。

 

 

一度で、神の名にあって死ぬことを受け入れ

神の名にあって生まれ変わり共に歩む人生を

「アーメン」と受け入れた。

 

愚かな母親の愚かな人生のツケを払わされた子供たち

だが

私には誇りが一つだけある。

イエス様を知らせることができたということ。

それ以外にはなにもない。

 

神は今も生きてなお働いておられます。

アーメン、ハレルヤ。

 

 

 

 

 

 

 

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