• 証し

 

 

イエス様という電車に乗った。

イエス様を信じて洗礼を受けて、

イエス様専用のレール・線路に代わり、

人生が変わった。

 

洗礼を受けるに至った日まで、

私を運んでくれた電車は私自身むき出しの危なっかしい生身の電車

大きな脱線事故にもあった。

というより、大きな事故ばっかりに遭った。

狙われてたんではないかと今では思うほど遭った。

 

というより、初めから、

早々に電車を変えろ、

痛い目に遭う前に変えろ、と合図は何度もあったように思う。

 

だが、目の前のことにまい進する力だけは逞しいほどあって、

それが子供たちを巻き添えにするまで電車の乗り換えができない

という結果になっていた。

乗っている家族全員が外に投げ出される大事故。

 

お腹の中にいた子供はお腹の中でその事故にあい

障害のある子は腕に抱かれたところから飛び出し

上の子二人は小学生で受けた心の傷はPTSD以外のなにものでもない。

 

それでも私はなんとか自分の手で子供たちを通常運転の

日常に戻してやりたくて

かなり無茶に働きすぎていた。

 

私自身にバランスよく状況を判断したり

関わる人を見極めたり

そういう力がなかったのだろう、と今ではわかる。

 

だが子供が子供を産んで

育てるのに走るに走って

疲れた時に助けてくれた人にすがって、コケて・・・

 

それでも無我夢中で生き抜いて

 

今思い出すだけでも

痛い

痛すぎる。

 

自分の電車で自分のレール・・・

あれをそのまま走っていたらと思うと、

ゾッとする。

 

子供たちも私も恐ろしいことに自死を選んでしまった可能性もあった。

そうでなければ

人生を生きる力がわからずに

自分の夢など描けるはずもなく

ただただ現実に押しつぶされて

誰も今の状況に至れなかった、と私は知っている。

 

線路を変えてもらい

イエス様の電車でイエス様の運転で

天の御国へ帰る道のりを今、生きている。

 

20年後の今

安心できるそれぞれの座席に座り

一度きりの旅ならと、

子供たちの夢は大きい。

 

寝て起きて

シャーと開くドアから今日も一日

神様から預かった自分の仕事をするために出ていく。

もう振り返らない。

 

到着先は一緒

車両は違えど、乗りそびれたりはない。

 

99頭が揃っていても

1頭が乗り込みに間に合わなければ

イエス様自ら探し出し、ご自分のもとに運んでくださる。

 

怖がらなくてもよいのだ。

シングルマザーの心細い子育ての結果が力不足だろうと、

その電車、そのレールがもう完全なる安全の保証で

あることは間違いないのだから。

 

コロナ禍で

走ってきた電車が大きく止まってしまった。

電車は終着点の一歩前の駅にいるのだろうか。

 

これまでと全く違う電車の走りに

これまでの証しを整理し、

何を忘れているのか、そういうことを思い書いている。

 

カテゴリー
タグ