- 投稿 2021/08/25
- 証し
20年前、父の命日に洗礼を受けた。
結婚に失敗し、4人の子供を抱えて路頭に迷う私に、
最後の砦、目を閉じて眠れる場所
子供たちを少し預けて仮眠をとれる場所は、両親のいる家、実家。
だが下の子、二人が感染症にかかり入院していて
自宅を留守にしていた時間
父は危篤になり、その夜、亡くなった。
実家に出戻ることになった。
母を一人にできない、という表向きはそう言って戻ったが
家があって、生活の流れが確立している場所で子育てをする。
母と相談をして本格的な同居が始まった。
貯金をそこそこ持っていたので
一年間は勤めることをしないで、子供たちの環境を整えることにした。
子供たちは祖父母の家にすぐに慣れていった。
ゆるく流れる時間
彼らは町で暮らしてきたので
歩いてなんでも済んでしまう学生生活にゆとりを味わい
私たちは母を含めた生活を思う存分満喫していたように思う。
だが
祭司職を退官した親の後任として
名指しされるようになっていき
ある時、私は徐脈に襲われ救急室へ運ばれた。
圧が迫るたび
体がどうしようもなくバランスを崩し
搬送三度目の救急室のベッドで、死を覚悟した。
子供たちの絶望した目
やはりそううまくいくはずがない。
楽しすぎた時間が互いに切なかった。
逃げているわけではない。
神事はなににおいても優先する・・・わかっている。
やれないキャパシティーか? そんなことはない。私はやれる。
ではなぜ具合が悪くなって、こうしてお前は逃げているのだ?
幼い子供たちの小さな手が頬を触ってくるが応えてやる力もなく
息子が背中を撫でて寂しそうに目を伏せている。
長女が、私頑張るから、と励ましてくれるが可哀そうでたまらない。
息が苦しくて
主治医の先生が
「負けないで、あなたが負けたら僕らも負ける」
何故かわからないけれど、そんな気がしてならない、と
空いた時間のたびに子供らを励まし、私を励ましてくれた。
個室を幼い子供たちもいつでも自由に親子が会えるように、と
とってくれていた。
子供たちを母が連れ帰った病室で
主治医が疲れ切った様子で傍にある椅子に座ると
僕もインフルで二日ダウンしていた、ごめんね、と
椅子から落ちそうになるほど寝落ちしてしまった。
子だくさんのドクター
病院で一番人気
順番待ちの長蛇の列ができてしまう先生の外来
そんな名医に、毎日、時間をたくさん頂いて、申し訳ない・・・
誰か助けてください
誰か助けてください。
子供たちを置いて死ぬわけにはいかない
でももう疲れた
休みたい。
眠りたい。
人ではなくて・・・
どんなに優しくて優れた先生でも先生は人間
時間に限りがある。
体力にも限りがある。
誰か助けてください。
神様、助けてください。
神様・・・
と、私、言った?
意識をなくした。