15.6年前、数人で聖書の世界をシェアしていた頃、

タイトルのみことばを知った。

 

夕方が物悲しくて切なくて心細い時間帯だと思うのは

私だけではないと思う。

 

聖書では

イエス様が十字架にかかり死に至る時間は夕方であり

マリアをはじめとする女たちが墓がからであるのを

知るのは朝である。

 

「ラボニ(先生)」 

 

なんとも甘いシーンである。

 

洗礼を受けて、この復活のシーンを知って

本当の甘さがどういうものかがわかった気がした。

 

自分がまったく違う生命体になったような

新しい感覚が生まれたような

もう自分であって自分ではないような

 

死んで生まれ変わる、という体感を得たように思う。

 

夕があり、朝がある。

 

洗礼後、

朝があって夕方へ進んでいくこれまでの日常が

新しい時間軸、始まりは死からというプロセスへ置き換わり、

魂の凪を味わう世界へと変わっていった証しを綴っていきたいと思います。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

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